ブラジルの爆弾娘 – カルメン・ミランダ

頭に沢山のフルーツや飾りをあしらったターバンをかぶり、ジャラジャラするほどのネックレスにブレスレット、底の分厚いハイヒールを履き、吸い込まれるような笑顔で歌い踊る歌手が、かつてアメリカを一世風靡したことがありました。

彼女の名はカルメン・ミランダ(Carmen Miranda)。

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「ブラジルの爆弾娘」(The BrazilianBombshell)とも呼ばれていました。ポルトガル生まれで、やがてブラジルに住むようになり、そこですでに国民的歌手になっていたカルメンは、アメリカのプロデューサーに見いだされて渡米、ブロードウェイの舞台で脚光を浴び、ハリウッドで映画出演すると一躍有名になり、アメリカで高額ギャラを取るスターにまでなりました。

20世紀フォックスと専属契約をして、最初に出演した映画「DOWN ARGENTINE WAY」ではストーリーには関係なく、3曲歌う場面が挿入されただけでしたが、彼女のイメージは観衆にインパクトを残すには十分だったようで、

次の作品「That Night In Rio」ではコミカルな役で登場。以後1940年代にフォックスのミュージカル映画には欠かせないスターになっていきます。ポルトガル訛りの英語でまくし立てるようにしゃべり、ちょっと気性が激しく楽天的な女性というのがカルメン・ミランダの典型的な役どころでした。

時は第二次世界大戦で、人々が戦争からエスケープしたい時だったので、底抜けに明るい彼女のキャラクターがウケたのは理解ができます。

でもなんといっても一番魅力的なのは歌の場面です。彼女の奇抜なコスチュームが目を惹くのはもちろんですが、歌っている時のジェスチャーが見る者を捕らえて放しません。特に手の動きにすごく表情があります。ポルトガル語で意味がわからなくても、その手のジェスチャーを見ているだけで十分飽きさせない説得力があります。

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実は最初、ダンスを紹介するこのサイトに、歌手であるカルメン・ミランダを紹介するべきかどうか少し悩みました。

歌に合わせて軽く踊りますが「ダンサー」というカテゴリーに入れるほどのダンスはしていません。そこをあえて紹介しようと思ったのは、彼女は歌だけではなく、その動きに最大の魅力があり、とてもビジュアル的なエンターテイナーであるということです。

滑らかに、時に切り返しの多い手の動きに合わせて腰を振りながら踊るカルメンのイメージがそのまま、ラテン音楽、南米風のコスチューム、そしてラテン系のショーダンスのイメージの代名詞のようになっています。

 

その派手なコスチュームや陽気なキャラクターはゲイにも大人気で、ゲイ・パレードやドラッグクィーンのショーでカルメンの扮装は定番であり、ジュディー・ガーランドに次ぐゲイのアイコンにもなっています。
「The Lady in the Tutti Frutti Hat」のリンク

またパロディーとして多くの役者が真似たり、漫画などにも登場するほどでした。

それを真似るカルメンのパロディーのリンク

そんなハリウッドが作り上げたカルメン・ミランダのステレオタイプのイメージは、本国ブラジルでは、本当のブラジルのイメージを伝えていない、滑稽なイメージをアメリカや海外に植えつけたという批判を彼女に投げつけました。

それは痛く彼女を傷つけたようですが、彼女が亡くなりブラジルで葬儀がおこなわれた時は何万人というファンが別れを惜しんで集まったそうです。

ということで、カルメン・ミランダがラテン系ダンスに与えたイメージの大きさを是非ご理解いただきたいと思います。もうこれは「百聞は一見にしかず」ですので、どうか下記動画などで彼女をご覧ください。

典型的なカルメンの手振りが見れる動画のリンク

ハリウッドで彼女が出演した作品は14本。そのほとんどが日本未公開です。どれも娯楽作品なので、名作的なものは一本もありません。だいたい一作品に2~3曲ほど彼女のミュージカルナンバーがあります。

カルメン・ミランダ アメリカでの映画デビュー作品

一番印象的なのは「The Gang’sAll Here」の中の「The Lady in the Tutti Frutti Hat」です。バナナをあしらった頭飾りで登場して歌い、途中はコーラスガールたちが巨大なバナナを手に持ち、フォーメーションを作ります。(これだけでも一見の価値あり)そして最後は彼女の頭に天まで届くほどのバナナ(舞台の書割セットですが)が伸びているというエンディングは一度みたら忘れられません。

Carmen Miranda アメリカでの映画出演リスト

1940 ­ DOWN ARGENTINE WAY

1941 ­ THAT NIGHT IN RIO

1941 ­ WEEKEND IN HAVANA

1942 ­ SPRINGTIME IN THE ROCKIES (邦題「ロッキーと春風」)

1943 ­ THE GANG’S ALL HERE

1944 ­ FOUR JILLS IN A JEEP

1944 ­ GREENWICH VILLAGE

1944 ­ SOMETHING FOR THE BOYS

1945 ­ DOLL FACE

1946 ­ IF I’M LUCKY

1947 ­ COPACABANA ( 邦題「悩まし女王」)

1948 ­ A DATE WITH JUDY (邦題「スイングの少女」)

1950 ­­ NANCY GOES TO RIO

1953 ­ SCARED STIFF (邦題「底抜けびっくり仰天」)

Bump and Grind - ストリップティーズ

 

Bump and Grind  - ストリップティーズ

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「ダンス」という言葉を聞くと、まずどのジャンルを連想しますか?バレエ、ヒップホップ、ジャズダンス、シアターダンス、タップ、フラメンコ、フラ、ベリーダンス、日舞など様々な種類がありますが、そのカテゴリーに入れてもらえないダンスがストリップ(または「ストリップティーズ」)だと思います。簡単に言えば音楽に合わせて洋服を脱いでいくショーダンスです。起源を探ると400年ぐらい前からそれらしき事は行われていたようですが、娯楽として成り立っていたピークは1930年代ごろから1960年代ぐらいでした。男性が女性の裸を鑑賞するのが目的だった為、ある意味ダンスとしてみなされることが少ないのですが、音楽に合わせて動くので、間違いなく「ダンス」だと思います。

基本的にストリップは高度なダンステクニックを必要としませんが、その代表的なムーブメントに「バンプ」と「グラインド」があります。バンプとは腰を突き出す動きのことで、グラインドは腰を回すことです。実はジャズダンスのアイソレーションでもよくやる動きです。あとはステージを動き回りながらいかにセクシーに焦らして洋服を脱いでいくかがポイントになります。

1950年代ぐらいまではまだ性表現の規制が厳しく、乳首を露出することも許されていなかったので、乳房の先に小さな飾りをつけて隠し、乳房を揺さぶり、ぶら下げた飾りを振り回すというのがよくありました。自分がストリップの面白さを感じるのは1960年代頃までのスタイルで、それ以降になると、性産業がどんどん過激になり、露骨に全部見せてしまう世界になってしまい、「焦らす」面白さがなくなっていきます。それによってストリップという娯楽も衰退していった次第です。

そのような、今からみるとおとなしいレベルのストリップの時代をバーレスク(Burlesque)というキーワードでとらえることができます。日本でいう「ストリップ小屋」みたいな場所も意味します。ヌードの合間にコミックが入るようなショーを見せる劇場でした。自分がお伝えしたいこの時代のバーレスク、ストリップティーズのイメージを、もっともわかりやすく表現しているミュージカルに「ジプシー」という作品があります。その中で、間違ってストリップ小屋にブッキングされてしまったヴォードビルアクトの若い女性が、ベテランのストリッパーたちから、ストリップのノウハウを伝授されるナンバー「You Gotta Have A Gimmick」があります。「特殊な才能はなくても自分のストリップを印象付けるアイディア(Gimmick)が必要だ」という楽しい場面です。


ストリップでもうひとつ大事な要素に音楽があります。それは時代によっても違いますが、脱ぐのに合う音楽があって、どちらかというとスローなテンポで、脱ぐタイミングにあわせてアクセントがある音楽のことです。自分が子供の頃「8時だよ!全員集合」で加藤茶が「タブー」でストリッパーを真似て「チョットだけよ、あんたも好きねえ」というネタがありましたが、日本ではあれでラテンの名曲「タブー」がストリップ音楽の代名詞になりました。80~90年代になると「オリーブの首飾り」に引き継がれましたが。「タブー」より前は「ハーレム・ノクターン」がよく使われていたようで、年代によってストリップのイメージ音楽が変わってくるのも面白いですね。

 

そんなストリップがダンスのジャンルとして認識されていないのは、まず趣味でやろうとする人がいなかったからではないでしょうか?ダンススタジオでも「バレエ、ヒップホップ、ストリップ」などと掲げているところはないでしょう。プロを目指す人しかやらなかったと言えます。それと先ほど書いたように、性産業がどんどん過激になり衰退した舞台芸術であったことも原因でした。しかし、今静かにこのバーレスクの世界を復活させようという動きもありまして、世界中で昔のスタイルのストリップティーズをやる人たちがいます。昨年、ある仕事でご一緒した日本人のバーレスクダンサー、チェリー・タイフーンさんに出会えて、彼女がワークショップを開催したり、日本に留まらず世界でパフォーマンスをしたりしている事を知り衝撃的でした。1950年代頃は、ストリップは男性の性の欲望を満たすことが一番の目的であったのですが、それはAVやネット産業に役目を奪われた今、逆にストリップが舞台芸術のひとつとして再認識できる時代になったとも言えるのではないでしょうか。