シアターダンスの父  ジャック・コール(JACK COLE)

ミュージカルが好きな人、シアターダンスに興味がある人ならボブ・フォッシーの存在を知らない人はいないでしょう。しかしジャック・コールになると、日本ではフォッシーほどの認知度がないようなので、今回はこの人物にスポットライトを当ててみます。

 

JACK COLE(1911~1974)はアメリカ人の振付師で、1930年代から60年代ぐらいまでブロードウェイとハリウッドで活躍しました。その中で多彩な功績を残しているので、その代表的な特徴を取り上げてみます。

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一番特徴的なのは、インド舞踊、タイ舞踊などのエスニックな要素をジャズダンスに取り入れて、独自のスタイルを確立した事です。民族舞踊というのは、音楽に馴染みがなく、若干見ていて飽きる事がありますが、ジャックはそのボディーランゲージの面白さをジャズなどのノリのいい音楽にのせショーダンスとして確立しました。

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振付の展開が速いので飽きる事がない。それは宝塚が日舞を洋楽で踊り、和物レビューのスタイルを確立した事と似ている。その振付の魅力は「キスメット」という作品の中のダンスナンバーによく現われています。

「キスメット(Kismet)1955年MGM」

ジャックのインド舞踊の要素を取り入れた振付の代表作品

一時期、「ヴォーグ」というダンスが流行りましたが、その元祖的な要素がジャックの振付の中に見受けられます。1カウントごと切り返すように展開する動きの面白さがあり、今みても古さを感じさせません。

「I-Don’t-Care-Girl(日本未公開)1953年Fox」

1カウントずつ切り返すような巧みなジャックの振付。

ブロードウェイの舞台で成功したジャックは、1940年代にハリウッドに招かれました。大手映画会社のコロンビアは、ジャックをコーチにして専属ダンサーの養成をさせました。それまでは、映画会社がダンサーを必要な時だけ集めていましたが、コロンビアは専属ダンサーを持ち、映画出演がない時でもジャックから厳しい訓練を普段から受けていました。

「今宵よ永遠に(Tonight and Every Night)1945年コロンビア」

コロンビアでダンサーを訓練していた頃の映画。主演のリタ・ヘイワースとペアで踊っているのがジャック・コール本人。

ジャックの振付は高度な技術を必要とする反面、ダンサーとして技量があまりない大スターの振付を手がけている事も注目すべきところで、マリリン・モンローの振付にその功績を見る事ができます。ジャックはモンローが魅力的に見えるようなジェスチャーなども指導していたようで、モンローもジャックを信頼していたと言われています。踊れるダンサーをうまくはべらせスターを引き立てるテクニックをジャックはよく心得ていました。アーティストであると同時に職業ダンサーとしての才能もあったと言えます。

「ショーほど素敵な商売はない(There’s No Business Like Show Business)1954年Fox」

まわりのダンサーをうまく踊らせてマリリン・モンローを引き立てていることがわかるナンバー。

ジャック・コールがあまり知られていない原因のひとつに名作がない事があると思います。彼が携わったハリウッドミュージカル映画はB級作品が多い。そして日本未公開作品が多いのも我が国で知られていない理由のひとつでしょう。しかし、たとえB級作品でも、フィルムに彼の素晴らしい振付が残されたことが幸いだと言えます。

 

ビデオカメラなどが普及する前は、ブロードウェイの舞台の振付は、その公演が終わると失われていくのが常でした。1980年代にリー・セオドアがアメリカンダンスマシーン(ADM)というカンパニーを立ち上げ、それらの失われていく名振付を保存してパフォーマンスをする活動を開始し、ジャック・コールの振付も復元していきました。日本にも何度か来日公演を行い、新宿コマ劇場の下にオープンしたシアターアプルの杮落とし公演が、ジャック・コールの振付を集めたミュージカル「JACK」でした。

 

後にボブ・フォッシーと結婚するグエン・バードンはジャックの片腕的存在であったし、マット・マトックスもフランスで亡くなるまでジャックのスタイルを継承し続けました。後のシアターダンスに多大な影響を与えた振付師、ジャック・コールは、後のボブ・フォッシー、ジェローム・ロビンス、マイケル・ベネットなどと共に、シアターダンスの功績者として日本でももっと認知されるべき存在である。

 

 

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