1930年代から1950年代後半頃までハリウッド製のミュージカル映画はその黄金期を迎えていました。
中でもMGMミュージカルは他の映画会社より群を抜いていて、スターや制作スタッフの質の高さがわかります。
その時代に活躍したMGMの専属スターのひとりがジェーン・パウエルです。
1945年から約10年間の間に、他社の作品も含め16のミュージカル作品に主演しました。
この時代はクラシカルなソプラノ歌手のスターが多く、その代表的なスターにジャネット・マクドナルドなどがいました。
のちに「オーケストラの少女」に主演したディアナ・ダービンが10代のソプラノ歌手としてユニバーサルで人気を博すと、MGMも第2のダービンを狙うようにジェーン・パウエルを主演に青春コメディ作品を作り始めます。
そのチャーミングな美貌と美声が売りのスターだった為か、歌に合わせて軽く動く程度の場面が多く、ダンスナンバーは少ないのだが、1950年の「Nancy Goes To Rio」のフィナーレで歌の後に男性ダンサーを従えて見事に踊れるところを見せたのである。
それは、けして歌手がご愛敬に踊るレベルではなかった。
Love is like this 「Nancy Goes To Rio」1950年
そして1951年の「恋愛準決勝戦」ではフレッド・アステアと共演。最後のナンバーでは彼女は歌わずダンサーとして登場。
ダンサーとして見たら、特別上手とは言えないのだが、ここでも歌手が無理してダンスをやらされた感はまったくない。
むしろこれぐらい踊れるのに何でダンスナンバーをあまり与えられなかったのか疑問すら感じる。
「I left my hat in Haiti」「恋愛準決勝戦」1951年
Fine Fine Fine 「Small Town Girl」1953年
この映画でダンスの技量を立証したかのように、ジェーンはワーナーに借り出されて撮ったThree Sailors and A Girl(1953年、ワーナー)ではジーン・ネルソンやゴードン・マクレアともダンスを披露している。
The Lately Song 「Three Sailors and A Girl」1953年
このシーンを見ると、歌手のマクレアが若干ぎこちなく踊っているのと対照的にパウエルの方はまったく遜色はない。あとでウィキペディアでパウエルの経歴を見たら、歌よりもダンスの方を先に習っていることがわかり納得。その歌唱力故にか、踊る機会が少なかったことが悔やまれるスターである。