スターダムにのし上がれなかったミュージカル映画俳優特集 その1   RAY McDONALD

 

レイ・マクドナルドはニューヨークで生まれ、姉のグレースと一緒にタップダンスのチームとして幼少の頃からボードビルの舞台で活躍していました。

レイが16才の頃、ブロードウェイのヒット作「Babes   in Arms」でグレースと出演。そこからスカウトされてハリウッドに行く事になります。しかしグレースはパラマウント、そして後にユニバーサルへ、レイはMGMへと、二人分かれて契約。

さっそくレイは「Down in San Diego」(1941)という低予算の映画に主演。彼に対するMGMの期待度が高かった事が伺われます。その後に、当時の人気スター、ミッキー・ルーニーとジュディー・ガーランド主演の「Babes on Broadway」(1941)に助演して、得意のタップダンスのソロを見せています。また「Born to Sing」(1942)という、元々はミッキーとジュディーを主演に企画された作品が、二人の都合がつかず、レイが主演することにもなりました。

「2AM」(BORN TO SING、1942)

MGMで主演した作品。バージニア・ワイルダーとのデュオからソロタップ。


「Tap Number」(BORN TO SING、1942)
もっともレイらしいダンスが見られるタップナンバー

その後、徴兵で映画から数年遠のきますが、ブロードウェイの舞台で知り合った女優、エリザベス・フレーザーと結婚して、後に3人の子供をもうけます。そしてその舞台から映画化された「Winged Victory」(1944)で映画界に戻ってきたものの、その後は端役ばかりになります。それでもまだMGMにいる間は多少の見せ場が与えられ、
「Till The Clounds Roll By」(1946)ではジューン・アリスンと主題歌を歌い踊り、
レイが出演した映画の中ではMGMが予算をかけた作品。映画のタイトルになっている主題歌を歌い、ジューン・アリスンといっしょに踊ります。

「Till The Clounds Roll By」(TILL THE CLOUDS ROLL BY,1946)

「Good News」(1947)では主役のピーター・ローフォードの気のいい親友の役で「Pass That Peace Pipe」のダンスナンバーなどで活躍しましたが、MGMとの契約が切れた後は、他社でB級作品が続きました。

「Pass That Peace Pipe」 (GOOD NEWS、1947)

ジョアン・マクラケンと中心になって踊るナンバー。青いセーターの男性がレイ。

エリザベスと離婚した後に、別の女優、ペギー・ライアンと2度目の結婚をして、子供も1人生まれます。二人は数本の映画でも共演しました。映画界から遠ざかると、ペギーとナイトクラブなどで活動するようになりますが、後にペギーとも離婚。ある時、ホテルで食べ物を喉に詰まらせ、37才の若さで他界してしまいました。

先にざっと彼のプロフィールを紹介いたしましたが、さて、そのレイ・マクドナルドとはどんなスターだったのか?風貌はスリムでちょっと気の弱そうな青年というのが第一印象。

加山雄三の若大将シリーズでいうと江原達怡が演じた江口役のポジションと似ています。ボードビル出身だけあり、歌も芝居も器用にこなしますが、一番得意だったのはやはりタップダンスでした。その細いカラダでバランスをとりながら軽やかにリズムを刻む姿は独特で、エレガントなシアタータップというよりは、むしろリズムタップ的な感じがします。回転しながらのステップも得意でした。

今見ても、実力は十分あったと思うのですが、それでも映画界でスターダムにのし上がれなかったのは、銀幕のスターで一番大事なカリスマ性がなかったことが大きな原因だったと思います。また出演した映画に名作がなく、最注目される機会が少ないのも不運ですが、映画のいいところは「残っている」ということで、タップダンサーの目から見ても、今でも十分通用するレイのパフォーマンスは、YOUTUBEなどで取り上げられ、静かに生き続けてゆくことでしょう。

ダンスナンバー (ALL ASHORE,1953)
ペギー・ライアンと夫婦だった時に踊ったナンバー。

All Ashore 1953 Peggy Ryan Ray McDonald from Andrew Choreographer on Vimeo.

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