ピンナップガール - ベティー・グレイブル(Betty Grable – Pin Up Girl)

第二次世界大戦中にアメリカでもっとも人気のあった映画スターの1人にベティー・グレイブルがいる。20世紀フォックス社のドル箱スターとして約10年間ハリウッドで活躍しました。後ろ向きで振り向いた写真がもっとも有名で、ピンナップガールの代名詞的存在でもある。

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あまり聞きなれない言葉だが、今風にいうとグラビア・アイドルでしょうか?(それすらも古いかも?)兵士たちがグラマーな女性の写真をピンでとめて飾ったことから、それらの女性モデルのことを「Pin-Up Girl」と呼ぶようになりました。その写真のベティーの脚線美が話題になり、ハリウッドにあるチャイニーズシアターのスターの手形、足型のセメントには、ベティーだけ特別に足型ではなく脚線美を残しています。

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そんな1940年代を代表するほどの大スターだったのに、日本ではまったく知られていないのが事実。理由のひとつは、戦時中だった為に主演作品のほとんどが日本で公開されていない事、もうひとつは名作的な映画がないからだと思います。戦時中のアメリカの娯楽映画は、物語はあまり重要ではなく、兵士が喜ぶような美人でグラマーな女性の歌や踊りが盛り込まれたミュージカル映画が主流でした。ベティーはまさにその分野で大活躍したわけです。

 

アイドルというのは人を惹き付けるだけの魅力の方に重点が置かれるがため、アーティストとして過小評価されることがよくある。ベティーもその類で、フレッド・アステアやジーン・ケリー、ジュディー・ガーランドといった連中と同格とみなされることはない。そこまでいかなくとも、せめてもう少し彼女の功績を理解してもいいのではと思うのである。

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28本ぐらいある主演作品の中で、ベティーは実にいろんなスタイルのダンスを踊っています。ペアダンスからバラード、タップダンスと何でもこなせる技量をもっていました。ベティーと共演したことがあるコンドス・ブラザーズのスティーブ・コンドスから「ベティーは人として最高で、どんなタップのステップでもこなせた」と話を直接聞いたことがあります。

 

ダーンヒルズと言うタップトリオとも共演していますが、まったく見劣りもせず一緒にステップをこなしている。フレッド・アステアの振付師として知られるハーメス・パンともいくつかの映画でデュエットを踊っています。シアターダンスの父と言われたジャック・コールも彼女の主演作の振付を担当している。どのナンバーも彼女の人柄と魅力に溢れていて、サラッとこなしているように見えるので、その技量の凄さに気づかないのかもしれない。言い換えればエンターテイメントとは、そういう努力を見せないものなのではないか。

 

1930年代から小さな役で映画に出演していたが芽が出ず、一度ブロードウェイに戻り「デュバリーは貴婦人」で注目されてから20世紀フォックスが目を付け、主演作を出すと

一躍スターに!以後1950年代初め頃まで人気を誇りましたが、1955年の「私の夫は二人いる」で映画界を去りました。以後はラスベガスのショーや「ハロー・ドーリー」などで舞台にカムバックしたが、1973年に肺ガンの為56歳の若さで他界しました。

 

同じフォックスの新人スターだったマリリン・モンローとも映画で共演し、二人の不仲説が広がりましたが、実際は逆で、モンローに「(チャンスを)しっかり掴むのよ!私はもう十分味わったから」と言ったというエピソードが残っている。

 

ベティーの歌や踊りには明るさと華があり、ハリウッドの黄金時代の夢が今でも輝いている。「芸術」ではなく「娯楽」を追求したスター、ベティー・グレイブルの事をぜひ知っておいて欲しい。

 

YOUTUBEでもベティーの歌や踊りが沢山投稿されているので、彼女の魅力を知るいいサンプルになるリンクをいくつかご紹介しておきます。

 

 

「Pin-Up Girl」(1944)振付師ハーミス・パンとのブルースナンバー

「Call Me Mister」(1950) 変な日本人役から水平姿でダーンヒルズとタップのアンサンブルになる。

 

「Footlight Serenade」(1942)これも振付師ハーミス・パンとの小粋なタップデュオ


「Meet Me After The Show」(1950)ジャック・コールの振付のナンバー

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