映画史に残る最高のダンスデュオチーム マージ&ガワー・チャンピオン

ミュージカルやシアターダンスを志している人なら、マージ&ガワー・チャンピオン(Marege &Gower Champion)の存在を知っておいて損はないです。
簡単に説明すると、1950年代のハウッドミュージカル映画で活躍した夫婦のダンスチームです。
ガワーはスリムでハンサム、そしてアスリートのような力強さもあります。マージは決して美人とはいえませんが、愛嬌があり、その容姿はディズニー長編アニメ「白雪姫」のモデルになったと言われています。
 IMG_0002
パラマウント映画社で「Mr.Music」という作品でその華麗なるダンスを披露した後、ミュージカル映画の殿堂、MGMと専属契約して印象に残る数々のダンスナンバーをフィルムに収めています。
二人のダンスはとても流動的なのが魅力です。とにかく気持ちがいいぐらい呼吸が合っています。あとリフトがとても自然なのです。
自分はダンスの中のリフトが、ちょっと不自然に感じることが多い。「はい、ここで持ち上げます!」みたいな意気込みが見えて、ダンスの中の物語の感情が高まってその流れになったように思えないことがあります。
でもこの二人のリフトは、ジェットコースターのルートのように、ダンスの流れの中に自然に流れて入ってくるのが素晴らしいのです。これも是非YOUTUBEなどでご覧頂きたいポイントです。
ブロードウェイミュージカルの映画化作品、「ショーボート」、「Lovely To Look At」などでの技量の素晴らしさを認められた二人にMGMは主演作「Everything I Have Is Yours」(日本未公開)を制作。
しかし映画の主役というのはダンスの技量とは別の、ある種のカリスマ性がないとダメで、興行的にはあまり話題にはならなかったようです。
その後もMGMで助演的位置づけで数本の映画に出演していますが、1955年のコロンビア映画「私の夫(ハズ)は二人いる」(原題「Three For The Show」)を最後に映画界から遠ざかっています。
以後はテレビ番組などに活躍の場を移していきますが、1973年に二人は離婚します。
ガワーは1940年代の終わりごろからブロードウェイ・ミュージカルの演出も手がけるようになります。彼が手がけた代表作に「バイバイバーディー(1960)」や「ハロードーリー(1964)」などがあり、確実なヒットメーカーのようにも見えますが、実は失敗作も数多くあります。
そんな中で一番有名なのは、なんと言っても「フォーティーセカンドストリー(1980)」でしょう。
しかし血液の癌の為、初日の朝に息を引き取るという、まるでドラマのような最後を迎えたのでありました。
チャンピオン夫妻の素晴らしさを理解していただくには、やはりダンスナンバーをご覧頂きたく思います。「Lovely To Look At(1952)」から3ナンバーをご紹介します。
「Somke Get In Your Eyes」では星空のような美しいセットで流れるようなデュオを見せてくれます。

「I Won’t Dance」は軽快でコミカルなナンバーで、二人のベストシーンのひとつだと思います。

「Yesterdays」はちょっとミステリアスでホットなダンスシーンで、二人のからみの見事さがよくわかるナンバーです。

ブラジルの爆弾娘 – カルメン・ミランダ

頭に沢山のフルーツや飾りをあしらったターバンをかぶり、ジャラジャラするほどのネックレスにブレスレット、底の分厚いハイヒールを履き、吸い込まれるような笑顔で歌い踊る歌手が、かつてアメリカを一世風靡したことがありました。

彼女の名はカルメン・ミランダ(Carmen Miranda)。

IMG_0001-sIMG_0002s

「ブラジルの爆弾娘」(The BrazilianBombshell)とも呼ばれていました。ポルトガル生まれで、やがてブラジルに住むようになり、そこですでに国民的歌手になっていたカルメンは、アメリカのプロデューサーに見いだされて渡米、ブロードウェイの舞台で脚光を浴び、ハリウッドで映画出演すると一躍有名になり、アメリカで高額ギャラを取るスターにまでなりました。

20世紀フォックスと専属契約をして、最初に出演した映画「DOWN ARGENTINE WAY」ではストーリーには関係なく、3曲歌う場面が挿入されただけでしたが、彼女のイメージは観衆にインパクトを残すには十分だったようで、

次の作品「That Night In Rio」ではコミカルな役で登場。以後1940年代にフォックスのミュージカル映画には欠かせないスターになっていきます。ポルトガル訛りの英語でまくし立てるようにしゃべり、ちょっと気性が激しく楽天的な女性というのがカルメン・ミランダの典型的な役どころでした。

時は第二次世界大戦で、人々が戦争からエスケープしたい時だったので、底抜けに明るい彼女のキャラクターがウケたのは理解ができます。

でもなんといっても一番魅力的なのは歌の場面です。彼女の奇抜なコスチュームが目を惹くのはもちろんですが、歌っている時のジェスチャーが見る者を捕らえて放しません。特に手の動きにすごく表情があります。ポルトガル語で意味がわからなくても、その手のジェスチャーを見ているだけで十分飽きさせない説得力があります。

IMG_0003-s

実は最初、ダンスを紹介するこのサイトに、歌手であるカルメン・ミランダを紹介するべきかどうか少し悩みました。

歌に合わせて軽く踊りますが「ダンサー」というカテゴリーに入れるほどのダンスはしていません。そこをあえて紹介しようと思ったのは、彼女は歌だけではなく、その動きに最大の魅力があり、とてもビジュアル的なエンターテイナーであるということです。

滑らかに、時に切り返しの多い手の動きに合わせて腰を振りながら踊るカルメンのイメージがそのまま、ラテン音楽、南米風のコスチューム、そしてラテン系のショーダンスのイメージの代名詞のようになっています。

 

その派手なコスチュームや陽気なキャラクターはゲイにも大人気で、ゲイ・パレードやドラッグクィーンのショーでカルメンの扮装は定番であり、ジュディー・ガーランドに次ぐゲイのアイコンにもなっています。
「The Lady in the Tutti Frutti Hat」のリンク

またパロディーとして多くの役者が真似たり、漫画などにも登場するほどでした。

それを真似るカルメンのパロディーのリンク

そんなハリウッドが作り上げたカルメン・ミランダのステレオタイプのイメージは、本国ブラジルでは、本当のブラジルのイメージを伝えていない、滑稽なイメージをアメリカや海外に植えつけたという批判を彼女に投げつけました。

それは痛く彼女を傷つけたようですが、彼女が亡くなりブラジルで葬儀がおこなわれた時は何万人というファンが別れを惜しんで集まったそうです。

ということで、カルメン・ミランダがラテン系ダンスに与えたイメージの大きさを是非ご理解いただきたいと思います。もうこれは「百聞は一見にしかず」ですので、どうか下記動画などで彼女をご覧ください。

典型的なカルメンの手振りが見れる動画のリンク

ハリウッドで彼女が出演した作品は14本。そのほとんどが日本未公開です。どれも娯楽作品なので、名作的なものは一本もありません。だいたい一作品に2~3曲ほど彼女のミュージカルナンバーがあります。

カルメン・ミランダ アメリカでの映画デビュー作品

一番印象的なのは「The Gang’sAll Here」の中の「The Lady in the Tutti Frutti Hat」です。バナナをあしらった頭飾りで登場して歌い、途中はコーラスガールたちが巨大なバナナを手に持ち、フォーメーションを作ります。(これだけでも一見の価値あり)そして最後は彼女の頭に天まで届くほどのバナナ(舞台の書割セットですが)が伸びているというエンディングは一度みたら忘れられません。

Carmen Miranda アメリカでの映画出演リスト

1940 ­ DOWN ARGENTINE WAY

1941 ­ THAT NIGHT IN RIO

1941 ­ WEEKEND IN HAVANA

1942 ­ SPRINGTIME IN THE ROCKIES (邦題「ロッキーと春風」)

1943 ­ THE GANG’S ALL HERE

1944 ­ FOUR JILLS IN A JEEP

1944 ­ GREENWICH VILLAGE

1944 ­ SOMETHING FOR THE BOYS

1945 ­ DOLL FACE

1946 ­ IF I’M LUCKY

1947 ­ COPACABANA ( 邦題「悩まし女王」)

1948 ­ A DATE WITH JUDY (邦題「スイングの少女」)

1950 ­­ NANCY GOES TO RIO

1953 ­ SCARED STIFF (邦題「底抜けびっくり仰天」)

Bump and Grind - ストリップティーズ

 

Bump and Grind  - ストリップティーズ

Exif_JPEG_PICTURE

Exif_JPEG_PICTURE

「ダンス」という言葉を聞くと、まずどのジャンルを連想しますか?バレエ、ヒップホップ、ジャズダンス、シアターダンス、タップ、フラメンコ、フラ、ベリーダンス、日舞など様々な種類がありますが、そのカテゴリーに入れてもらえないダンスがストリップ(または「ストリップティーズ」)だと思います。簡単に言えば音楽に合わせて洋服を脱いでいくショーダンスです。起源を探ると400年ぐらい前からそれらしき事は行われていたようですが、娯楽として成り立っていたピークは1930年代ごろから1960年代ぐらいでした。男性が女性の裸を鑑賞するのが目的だった為、ある意味ダンスとしてみなされることが少ないのですが、音楽に合わせて動くので、間違いなく「ダンス」だと思います。

基本的にストリップは高度なダンステクニックを必要としませんが、その代表的なムーブメントに「バンプ」と「グラインド」があります。バンプとは腰を突き出す動きのことで、グラインドは腰を回すことです。実はジャズダンスのアイソレーションでもよくやる動きです。あとはステージを動き回りながらいかにセクシーに焦らして洋服を脱いでいくかがポイントになります。

1950年代ぐらいまではまだ性表現の規制が厳しく、乳首を露出することも許されていなかったので、乳房の先に小さな飾りをつけて隠し、乳房を揺さぶり、ぶら下げた飾りを振り回すというのがよくありました。自分がストリップの面白さを感じるのは1960年代頃までのスタイルで、それ以降になると、性産業がどんどん過激になり、露骨に全部見せてしまう世界になってしまい、「焦らす」面白さがなくなっていきます。それによってストリップという娯楽も衰退していった次第です。

そのような、今からみるとおとなしいレベルのストリップの時代をバーレスク(Burlesque)というキーワードでとらえることができます。日本でいう「ストリップ小屋」みたいな場所も意味します。ヌードの合間にコミックが入るようなショーを見せる劇場でした。自分がお伝えしたいこの時代のバーレスク、ストリップティーズのイメージを、もっともわかりやすく表現しているミュージカルに「ジプシー」という作品があります。その中で、間違ってストリップ小屋にブッキングされてしまったヴォードビルアクトの若い女性が、ベテランのストリッパーたちから、ストリップのノウハウを伝授されるナンバー「You Gotta Have A Gimmick」があります。「特殊な才能はなくても自分のストリップを印象付けるアイディア(Gimmick)が必要だ」という楽しい場面です。


ストリップでもうひとつ大事な要素に音楽があります。それは時代によっても違いますが、脱ぐのに合う音楽があって、どちらかというとスローなテンポで、脱ぐタイミングにあわせてアクセントがある音楽のことです。自分が子供の頃「8時だよ!全員集合」で加藤茶が「タブー」でストリッパーを真似て「チョットだけよ、あんたも好きねえ」というネタがありましたが、日本ではあれでラテンの名曲「タブー」がストリップ音楽の代名詞になりました。80~90年代になると「オリーブの首飾り」に引き継がれましたが。「タブー」より前は「ハーレム・ノクターン」がよく使われていたようで、年代によってストリップのイメージ音楽が変わってくるのも面白いですね。

 

そんなストリップがダンスのジャンルとして認識されていないのは、まず趣味でやろうとする人がいなかったからではないでしょうか?ダンススタジオでも「バレエ、ヒップホップ、ストリップ」などと掲げているところはないでしょう。プロを目指す人しかやらなかったと言えます。それと先ほど書いたように、性産業がどんどん過激になり衰退した舞台芸術であったことも原因でした。しかし、今静かにこのバーレスクの世界を復活させようという動きもありまして、世界中で昔のスタイルのストリップティーズをやる人たちがいます。昨年、ある仕事でご一緒した日本人のバーレスクダンサー、チェリー・タイフーンさんに出会えて、彼女がワークショップを開催したり、日本に留まらず世界でパフォーマンスをしたりしている事を知り衝撃的でした。1950年代頃は、ストリップは男性の性の欲望を満たすことが一番の目的であったのですが、それはAVやネット産業に役目を奪われた今、逆にストリップが舞台芸術のひとつとして再認識できる時代になったとも言えるのではないでしょうか。

ジーン・ネルソンを知っていますか?

 古いミュージカル映画の話になると、たいがい「フレッド・アステア派」と「ジーン・ケリー派」に分かれたりします。まったくタイプの違うスターゆえ、それぞれに魅力があるので、自分はどちらかを選べと言われると即答できない。アステアは誰もが認める素晴らしいダンサーで、その上品でエレガントな動きは何度見ても飽きない。でも俳優としては、自分は彼に「男性」を感じたことがない。物語の中で相手役の女性が彼に男として惹かれるとは思えないのである。その点はジーン・ケリーの方がセックスアピールがあります。アステアに比べるとダンスはちょっと垢抜けない感じもするけど、男の無邪気さや、エゴや、弱さなども見えて俳優として成立していると思う。
Gene_Nelson
 それじゃ、この二人のいいところを足したようなスターがいたら、それが一番なのではないか?そんな奴はいるわけがない?それがいるんですよ。彼の名はジーン・ネルソン(Gene Nelson)といいます。1950年代初め頃にワーナー・ブラザーズの専属スターになり、主にドリス・デイやヴァージニア・メイヨーの相手役を務めて、1960年代にミュージカル映画が下火になってくると、B級サスペンスやエルヴィス・プレスリーの映画などの監督をするようになりました。
 まず、ジーン・ネルソンはスリムなボディーで立ち姿が綺麗なのである。そこはアステアに通じるものがあるのだが、顔がハンサムなので、アステアよりセックスアピールがある。踊り方も、身体の流れがスムースで、とてもしなやかに動く。と同時に彼はすごいアスリートでもあるので、踊りに切れがあり力強くもなるのである。そこはジーン・ケリーに通じるところなんですね。アクロバティックなことも楽々とこなし、見る者をアッと言わせる術を知っています。タップダンサーの自分にとっては、なんといっても彼のタップダンスが一番魅力的であります。彼独特のリズムのセンスがあり、それが綺麗な身体の流れと伴って見る者を魅了してゆきます。

 彼の主演したミュージカル映画は10数本あるのですが、その多くが日本未公開に終わっているので、日本でDVD化されている作品がほとんどないのが残念なのですが、幸いYOUTUBEでダンスナンバーを見ることができるので、検索して是非見て頂きたい。自分が一番好きなのは「Lullaby of Broadway」という作品の中の「Zing! Went The Strings of My Heart」のナンバーで、ページ・カヴァノフトリオのシンプルな演奏だけで、シンプル、かつ軽快に踊るタップダンスが彼のベストナンバーだと思っています。

「二人でお茶を(Tea For Two)」の中でドリス・デイと二人で踊る「I know That You Know」のタップのデュオも小粋でステキだし、「Oh My, Oh Myで階段の手すりに飛び乗ってタップを踏むシーンは彼のアクロバティックな一面が楽しめます。
 アステアのエレガントさとケリーのたくましさを兼ね備えたジーン・ネルソンは、自分にとってはまさに理想のスターであり、一番憧れたダンサーなのですが、ミュージカル映画の歴史の中でクローズアップされることがないのが残念である。理由は色々あると思いますが、そのひとつは彼に名作がないことでしょう。ジーン・ケリーには「雨に歌えば」があるし、アステアも名作はないかもしれませんが、代表作として「トップ・ハット」や「バンドワゴン」などがあるのに対して、ジーン・ネルソンには作品として時代を超えて見られている映画がない。唯一あるとしたら「オクラホマ」なのですが、それは彼本来の魅力が発揮されているとは自分は思えない。もし彼がワーナーではなく、優秀なスタッフ が集まるMGMの専属スターになっていたら、もっといい作品に巡りあえていたのではないか?といつも考えてしまいます。でも、たとえ映画がB級作品でも、彼の素晴らしいパフォーマンスは映像に残されているので、これからジワジワと評価されるのではないでしょうか。

 

ジーン・ネルソンのダンスナンバーが見られる映画リスト (ストレートプレイ、監督作品は割愛)

I Wonder Who’s Kissing Her Now (1947) 日本未公開
  20世紀フォックス社の作品で、ジューン・ヘイヴァーのデュオの相手役で登場。
The Daughter of Rosie O’Grady (1950) 日本未公開
  ジューン・ヘイヴァーを相手にヴォードビルスタイルのナンバーが見れます。
Tea For Two「二人でお茶を」 (1950)
  日本公開されたドリス・デイ主演作品。ジーン・ネルソンの魅力的なナンバーが多く見られます。以前VHSでソフト化され発売されました。あと廉価版の500円DVDでもみつけることができます。
Gene_Nelson2
The West Point Story (1950) 日本未公開
  ステッキとカンカン帽を使ったナンバーが極上です。
Lullaby of Broadway (1951) 日本未公開
  ドリス・デイ主演で、この中にジーンの最高傑作「Zing!Went The Strings of My Heart」タップナンバーが挿入されています。
Painting The Clouds with Sunshine (1951) 日本未公開
  ヴァージニア・メイヨー主演作で、マンボを踊るシーンがあります。
Starlift(1951) 日本未公開
  ワーナーのスター顔見世興行的な作品で「What Is This Thing Called Love」をJanice Ruleとのデュオを見せる。
She’s Working Her Way Through Collage (1951) 日本未公開
 ヴァージニア・メイヨー主演作で、ジムでアスレチックなダンスナンバーを披露。俳優時代のロナルド・レーガンも登場。
She’s Back on Broadway (1953) 日本未公開
  ヴァージニア・メイヨー主演作。
Three Sailores and a Girl (1953) 日本未公開
  「踊る大紐育」風の作品で、自動車整備上のクレーンの上でタップを踏む場面が見もの。
So This Is Paris (1955) 日本未公開
  これも水兵もので、今ひとつ物足りない作品。ミュージカル映画の衰退を物語っている作品。
Oklahoma! 「オクラホマ」(1955)
  ロジャース&ハマースタインのブロードウェイの名作の映画化で、ウィル・パーカー役で登場。投げ縄をしながらのダンスを披露する。彼のタップダンスが見れないのが残念。